過去のくろねこかんのホームページに掲載していた内容なので、当時の状況を感じさせる内容となっています。
よく人から、どうして劇団名が「黒猫館」なんですか?と尋ねられます。時々くる劇団あてのダイレクト・メールも「伊万里シアター黒猫館」と漢字で書かれています。漢字で書くとなんだかオドロオドろしいアングラ劇団で生魚でも食べているような雰囲気が漂ってしまいますが、ホントはひらがなで「くろねこかん」と書くのが正解なのです。でも「劇団」という特性上なのか、なかなかうまく伝わってないようです。(ただ今度はひらがなで「くろねこかん」と書くと、なんだ児童ぬいぐるみ劇団のような感じもしますけどね。)
話がひらがなか漢字なのかに外れてしまいましたが、ほんとは「くろねこかん」の名前はどこから来ているのでしょうか?その答えはくろのこかんの広報誌「くろねこ通信」Vol.2にその答えを創設者のひとりである西田氏が掲載していました。
「くろねこかん」という劇団名について
宮沢賢治の「セロ弾きゴーシュ」という小説があります。あれはゴーシュという若者が、セロの練習中に夜な夜な現れるネコ・カッコウ・タヌキ・ネズミから、音楽に必要なリズム感、情緒、表現力などを学ぶわけですが、ゴーシュという下手なセロ弾きのなかに、内気で劣等感が強くそれでいて自尊心を傷つけられることには極端に敏感だった若い頃の自分を見てしまうことが、皆さんの中にないでしょうか。ゴーシュが楽長に叱られた晩、猫に怒りを爆発させる気持ちもわかります。あれはゴーシュの精神衛生上絶対に必要だったのです。おそらくそれまでゴーシュは人前で怒ることもできずにきたにちがいありません。彼の生み出す音楽は、単に技術的未熟さのせいばかりではなく、心が開放されずに内向しているからこそ萎縮してのびやかさに欠けているのだと思います。楽長が「表現がまるでできてない。」と評するのも当然です。しかしこの晩からゴーシュは迷惑がり、怒りながらも夜ごと現われる動物達を受け入れ、次第に心をときほぐしていきます。内気で人付き合いの悪い人が子供や動物達とは上手に遊べるという例がよくありますが、この動物達はゴーシュの心のウォーミングアップにまた とない相手をつとめてくれたと言えるのではないでしょうか。
数年前、この小説を忠実に再現したアニメーション映画が出来た時、私はこの作品の意義と趣旨に賛同し、自主上映運動に参加しました。伊万里でも有線テレビで放映されたのでご存知の方もいらっしゃるでしょう。ラストの演奏会場で金星楽団にアンコールの拍手が鳴り止まぬ時、舞台そでに戻った楽長がゴーシュに言います。「君だ。君が行きたまえ・・・」みんなから舞台に押し出され「なぜ自分が・・・・?」と戸惑うゴーシュは、アンコールの拍手さえも自分を馬鹿にしているだと信じて疑わず「よーし見てろよ。インドのトラがりを弾いてやるから・・・・」と意を決し無我夢中でセロを弾くのでした。
終わった後も拍手は鳴りやみません。
ゴーシュが一目散でそでに戻った時、楽長並びに楽団員全員がゴーシュの上達の早さとすばらしい演奏に驚き、ただゴーシュを見つめるばかりでした。
彼は感きまわり言うのです。
「ネコです!トリです!タヌキです!ネズミです!そうか、そうなんだ。そうだったんだ・・・・」
ごく平凡な若者が、ある目的に向かってやみくもに突進している時、自分の目的にかかわりはないとはいえないが、むしろ邪魔なこととしか思えない出来事に見舞われ、人と出会う。青年は迷惑がりながらもその出来事や人を受け入れざるをえない。そして青年の心にいつしか真の自発性と他者への愛が生まれ、その力によって青年は飛躍的な成長を遂げるが、本人はまったくそれを自覚していない。まわりの人が青年の成長に驚き、それを指摘しても青年には信じられない。だがそれが疑いようもなくなった時、あの時の出来事が一瞬にして青年の脳裏によみがえり、その意味の深さを悟って強い感動にとらわれる。もしかしたら人生の転機というものは往々にしてこのような形で訪れるものかもしれません。
私は「セロ弾きゴーシュ」を音楽家固有の物語と考えたり、そこで語られているテーマを芸術論だけに限定するのは間違いだと思います。
つまり、楽団で一番下手なセロ弾きのゴーシュとは私自身のことであり、すべての青年のことだと思わないわけにはいかないのです。だからこそ私達はゴーシュの奇跡的な上達を心から喜んだのではないでしょうか。
映画ではラストが原作と少し違っていて、こんな場面が挿入されています。ゴーシュがすべてを悟った演奏会終了後、楽長が言います。
「エヘン。それではすべての反省をかねて祝賀会をおこなう。場所は・・・・・・」
「山猫軒の二階!」
楽団員の一人が声を上げます。「ゴーシュ君、きみの一緒に行こうよ。」
強い夏の日差しがほんのりとやわらぐ静かな夕暮れの川辺に、山猫軒はあります。風に揺れる柳、遠くで聞こえるおはやし、障子に吊るされた風鈴が夏の終わりを告げて、金星楽団の人々はビールで乾杯です。
劇団員を募集するとなった時、劇団名が当然必要だったわけですが、私はこれから集まってくるであろうみんなと、公演を終えた後、この山猫軒の金星楽団のように、うまいビールを飲むのが夢でした。
だから私達の劇団名は実を言うと「山猫軒」となるはずだったのです。ただ私が何をどう勘違いしたか、それを「黒猫館」とばかり思い過ごしていただけの事ではありますが・・・・・・・・・・。
私達にはネコも、カッコウも、タヌキも、ネズミも、訪ねて来てはくれないけど、あのゴーシュの思いだけは見えています。
時折、私は思うのです。私達が演劇を通じて成長していく過程の中でいつの日か「くろねこかん」という理想卿の場でうまい酒を飲みたいものだと。
それはきっと、まだずっと先のことでしょうけど・・・・・・・。
以上原文のまま掲載してみました。
簡単にいえば、「山猫軒」となるはずだったのが、西田氏の思い違いで「くろねこかん」となったということです。以来、旗揚げから早くも10年を過ぎてしまいました。劇団員の構成も大幅に変わったりしましたが、我々「くろねこかん」は今も舞台にいます。そしてこれからも居続けることでしょう。
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